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新品 :V2291379100000 中古 :V2291379100001 |
メーカー | その他 | 発売日 | 2025-07-21 12:25:50 | 定価 | 46800.00円 | ||
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カテゴリ |
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原文 / Shiina Tohru
翻訳・編集 / H.H
日本の皆さんへ
私は、ミュンヘン在住の椎名と申します。
現在の本業は実業家ですが、"大がかりな趣味"というイメージで、職人や工房への出資・コンサルティングを長年行ってきました。
そして、同じく趣味の一環として、世界から集めた約1200のコレクションを、友人や日本の皆さんにお譲りする活動を行っています。
日本では、なかなか見る事ができない靴、なかなか触れる事ができない情報を提供し、皆さんに楽しんで頂けたら、と願っています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
なお、健康上の理由やコーディネート上の理由などから、幅広いサイズを所有していますので、すべての出品をご覧いただけますと幸いです。
また、発送や皆様へのご対応は、日本のアシスタントに任せておりますので、関税および海外送料等の費用はかかりません。ご安心くださいませ。
執筆等のご依頼について
インスタグラム(shiina_munich)へご連絡ください。
なお、靴に関するものであれば、お問い合わせ・取材・執筆等は、これまで同様に無報酬で対応させていただきます。
ただし、無報酬という条件のため、全てのご依頼にお応えするのは難しい事、どうかご了承ください。
また、当ページをご紹介される場合等につき、下記URL記載の内容を必ずご確認下さい。
stgb.press/ca
初めてご覧頂いた方へ
以前、出品ページに4つの長編コラムを掲載しておりました。
今回初めて私のページをご覧頂いた方へ向けて、それら4つを含む出品ページを以下に再掲してもらいました。ぜひご覧ください。
各論のタイトルの横にアドレスを記載していますので、アドレスバーにご入力してください。
【2020/9/14 追記】
これら4つのコラムが書かれたのは、約2年前です。
革靴を取り巻く状況は、当時から大きく変わっております。
したがって、加筆修正すべきかとも考えましたが、敢えてそのまま再掲しております。
如何に変わったか、については今後議論いたします。
以上の点にご留意頂いた上、ご覧ください。
なお、当時はアシスタントの翻訳・編集能力、および表現力が乏しかったため、読みづらい箇所が多々ございます。
その点につきましても、ご容赦頂けますと幸いです。
- メンテナンス論 stgb.press/p
ここでは、どんな哲学で革靴というものを捉えるのかを決め、その哲学から然るべきケアというものを考えています。
また、ここでは、「なんとなく綺麗になった」「よく光るようになった」という印象で革靴の状態を見るのはやめて、革の構造と、革の健康維持の仕組みを理解した上でケアする事を述べています。- ヴィンテージ論 stgb.press/v
色んなメディアで言われているように、昔の革靴の方が、革質も、縫製も、造りも、すべてレベルが高い。
その背景を押さえ、さらには、革質・縫製・造り以外のヴィンテージ靴の長所についても言及します。- エイジング論 stgb.press/a
革靴を選び、革靴を育てるプロセスで必要な考え方を紹介しています。
また、私たちは何を目指して革靴を育てていくか、あるいは、現代社会で高級靴を履く事の意義は何か、という事についても言及しています。- 東欧靴論 stgb.press/e
現在の一般論として、革靴の最高峰は東欧靴であるとされます。
そうなった理由を、東欧世界と、東欧外の世界を対比される事で解説していきます。
なお、下記の『出品靴のご紹介』では、以上4つの議論を前提にしたコラムを載せています。
コラム内の文章末尾で、[ ]で表した箇所は、4つの議論の参照を意味しています。
前回の出品
以下をアドレスバーにご入力してください。
aucfree.com/items/s734763622
aucfree.com/items/k459909974
aucfree.com/items/r396263278
aucfree.com/items/o389163411
aucfree.com/items/x693196135
aucfree.com/items/x693220462
*** 今回の出品について ***
価値についての社会変化
・製品の価値
私は、これまで、製品の価値を有形価値と無形価値に分けて議論してきた。
この2つの価値について、改めて定義しておこう。
なお、私の定義は、一般的な定義とは多少異なるので、注意してほしい。
有形価値とは、製品が持つ価値のうち、実体のある価値(五感で感じ取れる価値)である。
例えば、軽さという価値、丈夫さという価値である。
無形価値とは、製品が持つ価値のうち、実体のない価値である。
例えば、あるブランドの製品だという事実が生む、印象の良さといった価値である。
鞄の軽さや丈夫さといった有形価値は、無人島でも生き、江戸時代の人々にも通じるだろう。
だが、その鞄のブランド価値という無形価値は、無人島では(それを見てくれる他人がいない状態では)消滅し、江戸時代の人々には通じない。
有形価値は、価値を認めてくれる他者や社会に依存しない。個人が五感で感じ取るだけで成立する。
無形価値は、自分以外の他者が、社会が価値を認める事で、成立する。
そういった意味で、有形価値は個人的なもの、無形価値は社会的なもの、と言える。
・製品の価値の変化
かつて、あるブランドは、丈夫さを売りにした鞄を製造し、それが流行になった。
その流行を受け、競合他社は、その鞄を真似た製品を製造した。
そこで、このブランドは、対策として、鞄にモノグラムをプリントする事にした。
すなわち、モノグラムのプリントによって「本当に丈夫なのは、この鞄ですよ」と保証したのだ。
この時点では、製品の価値の大部分は、有形価値である。
現代では、そのモノグラムが、ペラペラのTシャツにもプリントされ、高額で取引されている。
このTシャツは実体としては、大した価値がない。
すなわち、このTシャツの有形価値は乏しく、価値の大部分が、無形価値である。
このブランドは現在も鞄を販売するが、その鞄も、価値の大部分が、無形価値である。
その他多くの製品が、同様に変化してきた。
つまり、もともと、あらゆる製品は有形価値しか持たなかったが、やがて、無形価値も持ち始めるようになった。
そして現代においては、ほとんど無形価値しかない製品も多い。
・変化の妥当性
実体として価値のないものが高値で取引されている(ぺラペラのTシャツにモノグラムをプリントしたものが、高値で取引されている)事に、違和感を覚えるかもしれない。
しかしながら、これは、ごく自然な事だと言える。
われわれの最も身近にあるものが、完全に無形価値化しているのだ。
それは、貨幣だ。
もともと、貨幣は存在せず、海産物や農作物という実体の交換によって経済が成り立った。
やがて、それらの実体の価値の大きさが、金や銀の量で表現されるようになった。
そして今や、金も銀も必要ない。
金融機関による「この人は、いくら持っている」という保証があれば十分だ。
つまり、信用という無形価値だけで経済が成立する。
以上のような貨幣の価値の変化を考慮すると、製品の価値が、有形価値しかなかった状態から、有形価値と無形価値という2つの価値に分かれた事も自然に思える。
また、無形価値しかない製品が生まれた事も、自然に思える。
・無形価値への傾倒
そして、現代では、あらゆる製品が、無形価値へ傾倒している。
例えば、丈夫である事以上に、ブランド価値が高い事が重要になった。
現代では、人々は社会と常時オンライン状態にあり、ある製品に対して、社会がどんなイメージを持つか、極めてクリアに見える。
自分が良さを感じても、それを社会が貶せば、萎えてしまう。
反対に、自分が大して良さを感じなくても、それを社会が称賛すれば、嬉しくなる。
ともすれば、自分の感じ方よりも、社会が持つイメージの方が重要になる。
ネット上でのイメージが良い製品しか見ない、あるいは、自分がリアルで見て良いと感じても、ネット上でのイメージが悪ければ買わない、といった消費者も多い。
人々は、有形価値よりも、社会が持つイメージ、すなわちブランド価値という無形価値を重んじるようになった。
こういった消費者の変化に対して、現代のメーカーは、如何にブランド価値を作るかが大事である。
もちろん、例えば軽さや丈夫さといった有形価値も多少は必要だ。
だが、同じ軽さ、同じ丈夫さの鞄が2種類あったとして、かたや無名の1万円の品、かたやイメージの良い3万円の品があれば、確実に後者の方が売れる。
つまり、いくら品質が高くても、それだけでは売れず、品質以上にブランド価値が必要になる。
勝負は有形価値のフィールドではなく、無形価値のフィールドで繰り広げられている。
・無形価値へ傾倒する以前
かつて、人々は、自分が使用する事によって感じられる製品の良し悪しによって、購買判断を取っていた。
今ほど、社会が持つイメージ、ブランド価値を気にしていなかった。
というより、情報源が限定されたため、社会が持つイメージ、ブランド価値を知る機会も限られ、それらを気にする余地がなかった。
結局、売り場に行って、それを使用してみて、自分で価値を感じるしかなかった。
それに応じ、メーカーも、有形価値(品質)の高い製品を供給していた。
つまり、かつては、製品の価値の全部、あるいは大部分が、有形価値だった。
社会は、無形価値に傾倒する以前、有形価値に傾倒していたのである。
高級靴界の変化
高級靴の品質が落ちた、と至る所で言われて久しい。
それは、もはや常識と言えるだろう。
製造原価は、有形価値(品質)を高めるほど上昇するが、靴の価格に占める1足あたり製造原価の水準は、著しく低下した。
しかし、高級靴の価値が落ちた訳ではない。
高級靴の有形価値が落ちただけで、高級靴の無形価値は上昇し続けている。
むしろ、後者の上昇が激しいため、全体の価値(有形価値と無形価値の和)は上がっている。
現に、他の製品で類を見ないほど、高級靴の販売価格は上がり続けているが、その価格が消費者に受け入れられている。
これは、有形価値の低下分以上に無形価値が上昇して、高級靴の全体の価値(有形価値と無形価値の和)が上がった事を示している。
以上は、高級靴メーカー各社が、『価値についての社会変化』に対して、以下のようにアクションした結果である。
西欧靴界で、『価値についての社会変化』への対応が始まったのは、2000年頃である。
生産現場では、分業化・効率化を進めて、可能な限り製造原価を下げる。
価格をどんどん上昇させ、ラグジュアリー品としての格を作る。
価格上昇と、製造原価削減によって生まれた資金で、しっかりと広告宣伝を行い、世界の一等地に旗艦店を構える。
東欧靴界というのは、西欧靴界に比べて、保守的である。
そのため、彼らの『価値についての社会変化』への対応は遅れた。
現代でも、東欧靴界には、有形価値で勝負する意識が残っている。
しかしながら、東欧靴界においても、有名メーカーは変化しており、その変化は、特に直近1年程で急激に加速した。
・実業家としての見解
高級靴メーカーによる以上のアクションに対して、実業家としての私の見解を述べる。
彼らを、私は高く評価する。
それが有形価値だろうが、無形価値だろうが、価値を増大させた事は素晴らしい。
また、このアクションは、彼らが生き残り、ひいては高級靴産業が生き残るためには、必要である。
社会が求めるものを供給できなければ、衰退するしかない。
東欧靴界も、有名メーカーに限るものの、これから一気に無形価値への傾倒を強めるだろう。
既に、ラグジュアリー系のモデルを発売したり、ハイラインまでも他社生産に切り替えている。
このアクションも、生き残りのためには、必要だと考える。
・靴好きとしての見解
続いて、1人の靴好きとしての私の見解も述べる。
私は、個人的な趣向として、無形価値よりも有形価値を重視する。
つまり、ブランド価値が高くてステータスを誇れる事よりも、革質が良い事や、履き心地が良い事、耐久性が高い事を求める。
もちろん、無形価値が一切要らない訳ではない。
理想は、「有形価値が高いが故、結果的に、いわば副産物的に、無形価値も帯びている」といった状態だ。
バブル期に、初めて大々的に英国靴が来日した時には、高級靴がこの状態にあったと言えるだろう。
だが、高級靴は、遥か前に、この理想状態を通り過ぎてしまった。
すなわち、無形価値へ傾倒し過ぎた。
ここ20年間、継続的に、有形価値を低下させつつ、無形価値を上昇させている。
したがって、1人の靴好きとしての私、有形価値愛好家としての私は、『価値についての社会変化』に対する高級靴界のアクションを、マイナス評価している。
無形価値を上昇させるのは良いとしても、せめて、同時に有形価値も上昇させてほしい。
社会が無形価値を求めている以上、生き残りのために、無形価値を創造する必要があるのは仕方ない。
無形価値を創造するためには、莫大な販管費がかかり、その財源確保のために、値上げするのも仕方ない。
だが、値上げしつつ、有形価値(品質)を低下させる(もしくは現状維持とする)のは、不満である。
つまり、値上げする度に、製造原価水準も上げて、有形価値(品質)も高めてほしいのだ。
無形価値も上昇させ、有形価値も上昇させてほしい。
各メーカーが値上げする際、材料費等の製造原価高騰が原因であると説明される事がある。
特に、店舗スタッフやメディアは、そう説明する事が多い。だが、これはあくまでも販促目的の建前である。
たしかに20万円の靴は、靴好きでない者にとって、高価に思えるだろう。
だが、高級時計に比べれば遥かに安い。安すぎると言って良い。
したがって、製造原価の水準を上げて、有形価値(品質)を高めた結果、販売価格が高騰していくのは問題ないと思っている。
・有形価値愛好家の減少、無形価値愛好家の増加
このコラムをご覧になっている皆さんは、有形価値愛好家だと思う。
したがって、あなたも、私と同じく、以下のような見解をお持ちではないだろうか。
無形価値よりも、有形価値を重視する。
だが、無形価値が要らない訳ではない。
理想は、「有形価値が高いが故、結果的に、いわば副産物的に、無形価値も帯びている」という状態。
値上げしつつ、有形価値を低下させる(もしくは現状維持とする)のは不満である。
つまり、無形価値も上昇させ、有形価値も上昇させてほしい。
有形価値の上昇によって、価格が高騰するのは問題ない。
しかしながら、皆さんのような有形価値愛好家は、どんどん稀有な存在になってきている。
そして、無形価値愛好家が、どんどん増殖している。
おそらく、ここまでの議論や、ヴィンテージ論をご覧になって、あなたはこう考えているのではないだろうか。
「いやいや、そんなに品質を落としたら誰も買わなくなるはず。だから、高級靴の品質が下がり続けても、スーパーブランドのTシャツやクォーツのような、ほとんど無形価値しかないレベルまでは品質は下がらない」
その考えには、有形価値愛好家としての強いバイアスがかかっている。
正しくは、「誰も買わなくなる」のではなく、あなたが買わなくなるのである。
いわゆるスーパーブランドは、一般的には1.5万円程で売られる品質の靴に、15万円程度の価格を付ける。
そして、その靴は、高級靴メーカーの靴よりも売れているのだ。
という事は、今の高級靴メーカーは、少なくとも、「一般的には1.5万円程で売られる品質」までは品質を下げる事が出来る。
つまり、彼らも、スーパーブランドと同様のビジネスができる。
将来的には、ほとんど無形価値しかない革靴を売るようになっても、何らおかしくない。
そう予想できる程に、社会は無形価値に傾倒していて、無形価値愛好家が増殖しているのだ。
あなたも私も少数派なのである。
サンクチュアリ化したギルド
『インビテーション制ギルドへの道標』で説明した通り、インビテーション制ギルドは、究極の最高品質を実現するべく、ありとあらゆる手を尽くしている。
つまり、彼らは、完全純粋に、有形価値創造のためだけに、全エネルギーを注いでいるのだ。
そして、その結果として、「現実に、究極の最高品質を実現している」というコンセンサスを形成できているため、彼らは今日も存続している。
その一方、前節で述べた通り、一般的な高級靴メーカーは、無形価値へ傾倒し、無形価値の創造に多大なエネルギーを注いでいる。
つまり、インビテーション制ギルドと、その他のメーカー達は、真逆の方向へ向かっている。
それ故、両者は完全に断絶している。
インビテーション制ギルドの周囲には、見えない壁がある。
人々は、誰も壁の向こうに行くことはできないし、誰も壁の向こうに何があるかを知らない。
だが、実は、その壁の向こうには、とんでもない靴がある。
もちろん、人々は、それを手にする事も、見る事もできない。
インビテーション制ギルドは、現代の高級靴界における、いわばサンクチュアリになった。
有形価値傾倒時代における、一般メーカーとギルドの関係。
かつて、人々は、自分が使用する事によって感じられる製品の良し悪しによって、購買判断を取っていた。
今ほど、社会が持つイメージ、ブランド価値を気にしていなかった。
というより、情報源が限定されたため、社会が持つイメージ、ブランド価値を知る機会も限られ、それらを気にする余地がなかった。
結局、売り場に行って、それを使用してみて、自分で価値を感じるしかなかった。
それに応じ、メーカーも、有形価値(品質)の高い製品を供給していた。
つまり、かつては、製品の価値の全部、あるいは大部分が、有形価値だった。
社会は、無形価値に傾倒する以前、有形価値に傾倒していたのである。
私が知る限り、インビテーション制ギルド(インビテーション制の靴店、実質的にインビテーション制の靴店)は、19世紀から存在していたようだ。
すなわち、インビテーション制ギルドは、社会が有形価値に傾倒していた時代にも存在していた。
この時代においては、ギルドと一般的な高級靴メーカーが、同じ方向へ向かっていた。
つまり、両者とも、有形価値を追っている状態にあった。
そして、両者は断絶していた訳ではなく、ごく稀ながらも、取引を行っていた。
一般的な高級靴メーカーは、数年に一度、通常製品よりも品質を高めた特別製品を企画し、それをインビテーション制ギルドへ発注した。
あるいは、そういった特別製品に用いるレザーを、ギルドのプライベートタンナーに発注していた。
『インビテーション制ギルドへの道標』で述べた通り、インビテーション制ギルドは、多額の固定費を抱えており、その固定費を少数の顧客で分担している。
そのため、少し販売数が減っただけで、一気に運営が苦しくなる。
そこで、そういった場合のヘルプとして、一般的な高級靴メーカーからの仕事を受けた。
特別製品だけの生産、あるいは、特別製品だけに使うレザーの納入であれば、受注数が少なく、 彼らの生産体制に影響しない。
"穴埋め" として、最適だった。
一方、一般的な高級靴メーカーの側にも、大きなメリットがあった。
市場に有形価値愛好家が大勢いる状態では、インビテーション制ギルドにしか出せないハイレベルな品質は、最高の餌になる。
数年に一度、その餌を撒くことは、かなり有効な集客方法になった。
ギルドに生産を委託したり、彼らからレザーを仕入れると、製造原価は極めて過大になる。
もちろん、メーカーはそれに応じて販売価格を上げた。
それでも、ほとんど利益は出ず、場合によっては赤字になったようだ。
しかしながら、その特別製品を"餌" にして集客すれば、全体としては利益増が見込めた。
ギルドにしか出せない品質というのは、それほどまでに、強いインパクトがあったのだ。
現在は、両者の間に、以上のような取引関係はない。
現代では、市場に有形価値愛好家が少なく、無形価値愛好家が大多数である。
すると、特別な品質を提示しても、大した餌にならない。
したがって、現在は、一般的な高級靴メーカーがギルドと取引する事はない。
高級靴界の良心と、インビテーション制ギルド。
われわれ有形価値愛好家にとっては、有形価値(品質)の高い靴を製造するメーカーが、良いメーカーである。
この観点で、一般的な高級靴メーカーの中で、最も良い(良かった)メーカーは、旧エドワードマイヤーと旧ディンケラッカーである。
旧エドワードマイヤーとは、80年代後半から外注化するまでの、エドワードマイヤーを指す。
旧ディンケラッカーとは、90年代半ば以降のいわゆる後期アポロ時代から、00年代前半までのディンケラッカーを指す。
近年、特に直近1年は、マイヤーもディンケラッカーも、変革を強いられている。
マイヤーに関しては、複数ラインの外注先を変更する事で原価低減を図りつつ、アパレル等に力を入れている。
ディンケラッカーに関しては、プラダ傘下後のチャーチを見習って、ラグジュアリー系のモデルも企画し、広告宣伝に力を入れている。
ここまで社会が無形価値に傾倒すると、彼らも変わらざるを得ないのだ。
変革は、生き残りのために必要だ。
しかしながら、変革前の彼らは、ただただ有形価値の追求にエネルギーを注いでいた。
そして、旧時代の彼らの作は、一般的な消費者が購入できる既成靴のうちで、最も有形価値が高かった。
旧時代において、彼らは、有形価値追求の手段の1つとして、インビテーション制ギルドと取引した。
そのうちで有名なものは、エドワードマイヤーからヴォークへの生産依頼、あるいは、ディンケラッカーからG.ギレスベルガーへのレザーの発注である。
全ての高級靴メーカーのうちで、彼らが最も熱心にインビテーション制ギルドと取引していたと言えるだろう。
やはり、彼らこそが、われわれ有形価値愛好家の良心だ。
今回の出品について
講演の後、ご参加者様から、どうにかしてクラネルトやギレスベルガーの靴を譲って欲しいと、ご要望を受けた。
コラムをご覧になった方も、同様のご要望をお持ちだと思う。
だが、当然ながら、招待者だけが購入できる靴を他者に譲る事は出来ない。
そこで、旧マイヤーや旧ディンケラッカーが、インビテーション制ギルドと関わって生産した靴を出品する事にした。
これらの作であれば、もともとオープンな製品(インビテーションがなくても買える製品)であるため、自由に譲渡できる。
今回の出品は以下6点である。
ヴォーク製エドワードマイヤー(2点)
ギレスベルガー・ボックスカーフ製ディンケラッカー(3点)
これらに加えて、クラネルトが70年代にウィンザーに向けて生産した靴も出品する。
こちらは、マイヤーでもディンケラッカーでもないが、他の靴と同じく、一般メーカーに向けて生産されたオープンな製品(インビテーションがなくても買える製品)であるため、同時に出品する事にした。*** このページの靴 ***
70年代、A.クラネルト製のウィンザーの靴。
この時代、ウインザーは積極的に色んな工房に発注したが、その中には、クラネルトもあった。
ただし、クラネルトへ発注したのは、このモデルのたった1度限り。
しかも、56足しか作らなかったらしい。
したがって、A.クラネルト製ウィンザーで、現存するのは、この個体だけかもしれない。
クラネルトはベビーカーフを多用するが、この作にも、ベビーカーフを用いている。
ベビーカーフと言えば、ジョンロブロンドンのビスポークが思い浮かぶだろう。
そして、ベビーカーフのジョンロブロンドンは、時に "ガラスの靴" と揶揄され、数年履いているとバリバリに割れてしまう。
ただでさえ、生後間もない子牛は網状層の発達が悪いのに、肌理の細かさと柔らかさを追求すれば、極めて脆弱な原皮を採用する事になる。
したがって、子牛の飼育方法(食糧や気候等)から緻密にこだわり抜かない限り、バリバリに割れる運命にあるのだ。
だが、当然ながら、ジョンロブのような一般的なメーカーは、ここまで深くコミットしない。
その一方、『インビテーション制ギルドへの道標』で述べた通り、クラネルトはタンナーを垂直統合し、原皮生産、子牛の飼育方法にまでコミットしている。
そして、クラネルトのベビーカーフは、ジョンロブロンドンのベビーカーフが、その脆弱性を克服し、美と強さを完璧に併せ持ったものだと評されている。
40年以上経過してもなお、万全な状態で現存している本作は、その証明である。
■ サイズ
表記UK7F(標準ウィズ)
ヴィンテージですので、小さめです。現代の靴のUK6.5程度に対応します。
なお、タイトル中参考サイズとして、この出品靴のサイズ感に近いものを挙げています。
あくまでも参考になりますので、詳細につきましてはご質問頂けますと幸いです。
日本で手に入るラストでしたら、UK6.5相当からUK8相当まではほぼ所有しておりますので、普段お履きの靴のモデルおよびサイズをご教示下さい。
■ コンディション
ヴィンテージ品ですので、それなりに経年変化および使用感が見受けられます。
ただ、ハーフラバーの貼り付け以外の補修歴等もなく、革内部の健康状態も完璧です。
ヴィンテージに慣れている方であれば、問題のないコンディションだと思われますので、ご安心ください。
革のケア方法については、インスタグラム(shiina_munich)やメンテナンス論を参考になさって下さい。
■ ご注意事項
・革製品ですので、文章や画像で表現しきれない皺、傷やざらつき、汚れ等は必ずあります。
・しかしながら、通常使用では発生しないダメージ、修理が必要な致命的なダメージは記載致しますのでご安心ください。
・顔料仕上げでは、原皮の表面が加工で隠されますが、アニリン仕上げ、染料仕上げでは隠れません。
・履きおろし済みの靴に関しては、30分から60分のテスト歩行を行っています。『致命的なダメージ』とは、このテスト歩行で発見できるものを指します。
・私の靴に限らず、古靴で接着層がある場合、経年で接着剤の力が弱くなっているケースがあります。
・ご覧になる環境で色の表現が微妙に異なる点をご了承ください。
・どんな些細な事でも気になること(特に状態とサイズ、色につきまして)はご質問下さい。誠心誠意対応いたします。
・特段の記載がなければ、靴本体以外の付属品はありません。付属品がある場合は記載いたします。
・入札者様の評価欄を拝見し、状況次第では、入札を削除させて頂きます。
・返品、キャンセル、代理での再出品は不可とさせていただいておりますので、よくご検討の上でのご入札をお願いいたします。***********************************9月20日***********************************
われわれにとっての、大きな一歩。
現代では、無形価値への傾倒がどんどん強くなっている。
強いブランドイメージによって、人々は、真に高品質とは言えないものを、高品質として刷り込まれている。
世界には、もっと良いものがあるのに...
私は、この状況に対して、過去のマスターピース(現行品ではないもの、ヴィンテージ品)を紹介する事で対応してきた。
数十年前の逸品をお渡しできる事に、私は特別な喜びとロマンを感じていたし、皆さんもそれを感じてくれていたと思う。
だが、われわれは、その裏で、先々の闇を想像し、悲観していた。
すなわち、過去のマスターピースが枯渇した後は、どうすれば良いのだろう、と。
だから私は、過去のマスターピースを紹介しつつも、現在進行形で "本当に良い靴" が生まれている場所を公開せねば、と考えてきた。
その場所とは、インビテーション制ギルドだ。
実は、今回の講演のずっと前から、インビテーション制ギルドについて語りたいと考えていたのである。
だが、その実現は、かなりの困難を極めた。
彼らの存在がオープンになる事は、彼らにとって危険である。
それが、何年か先の崩壊に繋がる可能性があるからだ。
元々クローズドで(特定少数の顧客を対象として)運営されていた工房へ、大衆が流入し、一気に生産量が増えて、結局は平凡なメーカーになった事例は、あまりに多い。
したがって、彼らは、自らの存在を秘密にしようとする強い意思を持っている。
この事情故、情報公開の許可が下りなかった。
私の元には、皆さんから、日々沢山のメッセージが届く。
そのメッセージを読めば、如何に皆さんが靴を愛しているか、如何に皆さんが本質を見ているかが分かる。
それをまとめて翻訳し、「日本には、こんなにも情熱的な靴好きがいるんだ」という事を、何か月にも渡って、彼らに繰り返し伝えてきた。
それがようやく実を結び、なんとか、ギレスベルガーとクラネルトから協力を得られたのだ。
皆さんが、彼らの存続を脅かす者ではなく、むしろ彼らの理解者である事を、分かってもらえた。
これは、皆さんも含め、われわれ全員で進めた、大きな一歩である。
改めて、皆さんと、そして、われわれの事を受け入れてくれた、ギレスベルガーやクラネルトに感謝したい。
本当にありがとう。
次の一歩
だが、これだけでは不十分だ。
宝の在り処は示せたが、宝への道がない。
すなわち、実際に皆さんが、インビテーション制ギルドによる作を手にする機会がない。
現状では、結局、過去のマスターピースを提示する事しかできない。
現に、今回の出品も、旧エドワードマイヤーや旧ディンケラッカーの出品である。
次の一歩は、ギルドによる現行作を手にする機会を作る事だ。
当然ながら、この前進は、これまで以上に困難を極めるだろう。
数年でどうにかなる、というものではない。
まだ完全に夢の話で、何の段取りも決まっていない。
だが、やはりわれわれは、この目的に対しても、最大限のエネルギーを注ぐつもりだ。
皆さんが、宝を求めれば、宝を手にできる、そんな世界を強く望むからだ。当ページの画像・文書の転載を禁じます。
© 2020 Tohru Shiina